イラク人質事件の最近のブログ記事

 信じられない事件が今月も起きている。雑誌「フラッシュ」記者らが「住居侵入の現行犯」で逮捕された事件(6日)。またしてもイラクで日本人人質事件。

 本サイト管理人は公私にわたり忙しい状態だが、これら2点は事態の進行につれて深刻さがはっきりしてきたので、ここでは長大な記事・コラムにかわり、読者に参考になりそうなそれぞれのリンクと、若干の補足説明をしたい。

【「フラッシュ」記者ら逮捕】

『フラッシュ』記者等、異常な72H留置+10日勾留延長決定
(情報紙「ストレイ・ドッグ」(山岡俊介取材メモ))

 これを異常と考える人達はまだまともである。今回をきっかけに、日本の刑事司法のおかしさにいい加減皆気がついてほしいと思う。

 しかし、こうした出来事が起こった責任の一端は、マスコミ業界自身にもあるといわざるを得ない。犯罪報道において、逮捕されればそれだけで「犯人」であるかのように扱い、長期勾留の問題を無視して被疑者に不利ないかがわしい捜査情報を大量に流し、自由主義・人権思想に敵対してきたのは、一体どこの業界だろうか。

 『本当なら今回の件、早速、有志のマスコミ関係者や雑誌協会などが、勾留延期の決定に対し、抗議の声明などを発してしかるべきだと思うのだが、キチンとチェックしたわけではないが、どうやらそんな行動は一切ないようだ』(山岡さん)。それはそうだろう。勾留延長されるのが「マスコミ関係者」でなくとも、十分そうすべきだったのだ。

【イラク日本人人質事件】

 今回拘束されたと報道されている英警備会社の斎藤昭彦さんについて。

 なぜ民間警備会社が事実上戦争を請け負っているのかについては、有料のインターネット新聞「日刊ベリタ」に詳しいので、ここでは改めて触れない。要するに各国の国防当局は、防衛費、人材、リスクの削減のために、戦争業務を民間に委託しているというわけである。さらに一言補足すれば、斎藤さんのような立場の人々が、イラク人の米英などに対する反感や憎悪の対象に実際になりやすいといえる。日本政府は、昨年の人質被害者に対しては日本国民向けに「自己責任」云々と非難して政治上のごまかしをしてきたが、今回はそうはいかない。

 ここで、イスラム教指導者の支援を仰ぐことが重要だと私は思っている。イスラミック・センター・ジャパンのウェブサイト(英語版)によれば、同センターは「斎藤昭彦さんを解放するための闘いを訴えています・・・斎藤さんの無事な帰還のために最善をつくしています」と述べている。

 同センター代表理事のSalih Samarrai博士は10日、カタールのアルジャジーラ・テレビに出演し、拘束者(captors)に斉藤さんを解放するよう訴えたという。またSamarrai博士は、日本がイスラム教徒とアラブ人の親友であると強調したという。

 三千年以上も前の契約の時代から、今日のわれわれが少しでも前進しているというのであれば、少なくともイスラム教徒の訴えを聞くくらいの寛容さはもちたいものだ。

 メインサイト「メディアの辺境地帯」に記事を追加したのでお知らせしたい。

イラク人質事件:「自作自演」説はどのように出てきたか

 政府・警察が最初に人質になった3人の「自作自演」説を見込んでいたことと、「自作自演」説がどのようにして2ちゃんねるなどの媒体に出てきたかを振り返ってみた。今更、と言う人もいるかも知らない。しかしこういう記事を残すことで3人を攻撃した連中の言論責任をはっきりさせておきたいと思う。

佐世保女児死亡事件:浮上してきたマスコミ・警察・教育機関の癒着関係

 佐世保女児死亡事件で、2日、長崎県教育委員会が事件の調査結果を報道機関に公表したことで、マスコミ・警察・教育機関の癒着関係が浮かんできた。ここでは特に県教委の「職権濫用」、警察と教育機関との関係を指摘し、マスコミと教育運動にとりついている「ココロ主義」を念入りに批判しておいた。

 14日、「人権と報道・連絡会」(人報連)の定例会が中央大学駿河台記念館(東京)で開かれ、イラク人質事件被害者の今井紀明さんがゲストとして招かれた。
 定例会でなされた今井さんの話と質疑応答は、いずれ人権と報道・連絡会ホームページ(ダイジェストとして)、「人権と報道・連絡会ニュース」(会員向け)で報告されるが、前と同様、定例会参加者として特に印象に残ったことを書き留めておく。

 先月30日、イラク人質事件で最初に被害者になった三人のうち二人の記者会見(弁護士会館と外国特派員協会)から、「自己責任」論、「自作自演」説、警察の聴取について述べた部分についてテキスト化した。(〔〕内は私の補足)
 記者会見の録画は、VIDEONEWS BLOGで見られる。また特派員協会で行われた会見の全文テキスト化は、日刊ベリタ(有料)で読める。

 「自己責任」論については、二人は次のように明確に話していた。

1. 日本政府や「読売」などのいう「自己責任」論に反論して:
『「自己責任」論という言葉が飛び交っているようですけれども、僕らジャーナリストというのは、危険だからこそ、現場に立って伝えるべきことがあるんではないかという信念をもって、リスクを背負って行動しています。だから、今挙がっている「自己責任」論は、ちょっと僕らに当てはまる言葉ではないと。僕はそう考えます』(郡山さん、弁護士会館)

2. 今回、自己に課せられたと思う責任について:
『僕の考えなんですけれども、自己責任というよりは、自分にとって責任が今回生じたことというのは、今回の体験を、日本の人々に伝える、つまり、イラク戦争の現実とか、そういうものを伝えることだと考えています』(今井さん、弁護士会館)

3. 危機・リスク管理という意味での自己責任について:
『・・・僕自身は、自分でそれなりの戦闘に巻き込まれるとか、拘束されるとか、そういう可能性が全くないと踏んで動いたわけではないので、その結果拘束されてしまったという・・・〔しかし〕後悔はしていません。
〔今後の教訓について〕今回の事件をふまえまして、ちょっと危機管理の甘さというのが若干自分でもあったかなというのがありますけれども、これを生かして、次につなげていこうかなと思っています』(郡山さん、弁護士会館)

 郡山さんは「自作自演」説について聞かれると、声を大きくして次のように答えた。
『あれは命令だったと思いますね。「泣いてくれ」「怯えてくれ」〔と犯人グループに言われ〕・・・で、あの状態でですね、否定できますか、皆さん。武器を持っていて、そりゃ「命の保障はする」と言われましたけれども、あの状態でですね、否定はできないと思います。言うことを聞くしかないと思います』(弁護士会館)

 日本警察がバグダッドの日本大使館とドバイで三人を事情聴取したことについては、郡山さんは次のように語った。
 『細かいことはちょっと言えないんですけれども、かなり疑ってかかっていたと思います。「自作自演」説が出ていたからかもしれないですけど、かなり疑ってかかっていたなという印象はありますね。だから、僕らが「こうでした」と話すと、「こうだったんじゃないの」という切り返しが妙に多かったですね』(弁護士会館)
 『在イラク日本大使館で〔聴取を〕受けたときには、僕ら三人ともダメージがあったんで、状況を聞くだけで、質問形式ではなかったんですけれども、ドバイに関しては、「自作自演」説が流れていたからかもしれないですけれども、僕が「こうこうでこうでした」と言っても、「こうじゃなかったの」「ああじゃなかったの」という、かなり先入観を持って質問されていたというか、事情を聞いていたという感じがしましてですね。これは三人が三人とも感じていたことなんですけれども、かなり腹立たしく思いました。僕らは被害者なのか加害者なのか分からない。僕は今回の高遠さんのなかなか立ち直れない理由、精神状態の落ち着かない理由の一つに、僕はそれもあると思います。
〔ドバイで心外な対応をした日本政府関係者の名前を聞かれて〕すみません、実は言いたいのですけれども、僕、名刺も無くしちゃいましたし、名前も覚えていないんですよ。ただ、警視庁から来られたと伺いましたけれども』(特派員協会)

【論評】
 冷静に堂々と説明したり質問に答えたりする二人を見て、とりあえずは安心した。あとは高遠さんが早く立ち直ってくれることを願う。
 「自己責任」論に関していえば、1については郡山さんの答えたとおりだと私も思うし、2は批判を受けとめた今井さんが自分なりに考えた責任論なのだろう。3の「危機管理の甘さ」については事態が落ち着いてくる今後、まともな議論がなされるに違いない。
 二人の回答を聞いた後では、読売新聞の5月1日付に載った、楢崎憲二社会部長による『「自己責任論」は悪者か』という文章がひどく貧困に読める。今井さんと比べてどちらが大人なのかとも思う。
 私のもう一つの関心は警察の事情聴取だった。
 私は以前の記事で、『もし警察が三人の「狂言」もしくは「自作自演」説を見込んでいるのであれば、その事情聴取がどのようになるかは推して知るべしである』と書いたが、郡山さんの発言は、警察の「自作自演」説に基づく見込み捜査がかなり早期に始まっていたという事実の裏付けになっている。
 政府・警察由来の「自作自演」説に対しては、複数の週刊誌から批判が出ている。それらの週刊誌にはなんと「週刊新潮」まで含まれている。
 これらの該当箇所は「イラク日本人人質事件・被害者自作自演説疑惑」の「根拠」を検証するページで引用されているので、ここで改めて引用せず、誌名と号だけ列挙する。
・「週刊文春」4月22日号
・「週刊新潮」4月22日号
・「FRIDAY」4月30日号と5月7日号
・「週刊現代」5月1日号
(なお、このサイトでは「週刊金曜日」4月23日号の記事が引用されていない。「週刊現代」が、被害者とその家族の身辺調査を指示したのがアメリカだったという匿名の「警察庁関係者」のコメントをとったのは興味深いが、これにはさらなる裏付けが必要だろう。)
 郡山さんらの記者会見後、警察の「先入観」に触れた「記者クラブ」系マスコミもあった(例えば共同通信西日本新聞)。しかし「自己責任」論について言い訳をした「読売」は、その隣に掲載した二人の会見の記事では警察のことに触れなかった。
 ところで、政府や警察にとって、「自作自演」説のおいしいところは一体何だったのだろうか。
 三人の名声や社会的影響力を低下させたいだけなら、「自業自得」「税金泥棒」(帰国した三人に対して掲げられたプラカードの言葉)という類で十分だろう。
 改正警察法の発動(以前の記事を参照)にはしゃいでいたという見方もできるかもしれないが、あわよくば、それ以上の権力の行使を狙っていたのではないかとも推察される。刑法233条を参照せよ。

 26日の毎日新聞によると、自民党の柏村武昭参院議員が、26日の参院決算委員会で、イラクの日本人人質事件について「反日的分子のために数十億円もの血税を用いることに強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」と述べた。
 また柏村氏は「それぞれの意思で危険な国に出かけて行って武装勢力に捕まった。これ自体が明らかに反国家的」と指摘。事件によって「国会開会中に官邸の機能が妨害、寸断されたわけで、言ってみれば公務執行妨害的なところもある」などと述べた。
MSN毎日の該当記事

【論評】 この件で閣僚や政治家の不見識発言を取り上げるのは、もううんざりだと私も思うのだが、見過ごせないのは、この人物の経歴だ。
 本人の公式ページなどによると、柏村氏は中国放送のアナウンサーからフリーのタレントとして独立、「お笑いマンガ道場」(中京テレビ)の司会などを経て、01年7月の参院選(広島選挙区)で初当選した。
 「ジャーナリズム」に携わっていた(はずの)者が、ジャーナリストに向かって、取材活動中に事件に巻き込まれたことを指して「反日的」と言ったのだ。真実の追究よりも自らのドグマに閉じこもる人間を代表する発言といえる。
 日本のマスコミ業界が、たまたまこういう人間を政界に送り込んだのか、それとも、かなりのマスコミ関係者が彼と気分を共有しているのか。
 本人のHPには、自らの「信条」の一つとして「NPO活動の育成 -善意の心を生かそう-」とある。これを読んで「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉を思い出した。地獄への道を舗装してくれたのはもちろん、助かった五人ではなく、柏村議員(と、彼に賛意を示した追随者)のほうだ。この場合の「地獄」とは、60年前の日本と同じ狂信的国家主義のことだ。
 今後、柏村議員の「信条」には「政府の方針に従わない者は“反日的分子”とみなす」という但し書きが付いているものと見なすべきだろう。

 「週刊金曜日」(4月23日号)や辺境通信の調査によれば、日本経済新聞社のウェブサイト「NIKKEI NET」に、イラクでの日本人人質事件で最初に拘束され、解放された3人の住所が、一時期掲載されていた。
 掲載されていた期間は4月15日のいつか1時間とみられる。
 「週刊金曜日」が3人の家族の代理人弁護士に取材した。弁護士は、3人に対する嫌がらせが助長されたのは、「NIKKEI NET」による掲載も影響しているとみている。
 日本経済新聞社の社長室は「週刊金曜日」の取材に対して、19日付で「国民の関心が非常に高いことから、住所も含めネット上で伝えました。その後、三人に対して国内に様々な感情があることなどを考え、一時間後に住所を削除しました。ご家族にも理解を得るため、順次ご連絡しています」などと回答したという。
 一方、読売新聞は、「3人の住所がインターネットの掲示板に掲載されたため、札幌法務局が掲示板の管理者に削除を依頼していた」と報道した(該当記事、22日)。
 読売新聞が法務省人権擁護局に取材したところによると、3人の住所がネットに掲載されたのは解放後の16日。3人の自宅に大量に中傷の手紙が送られてきたため、相談を受けた弁護士が届け出たという。
 しかし、以上の情報を総合すれば、「NIKKEI NET」の掲載がネットに先んじていたことになり、ネットに掲載された3人の住所の直接の情報源が「NIKKEI NET」であった疑いが強い。

 APの記事は無料・無登録で閲覧できるので(下のリンクをクリック)、あとは「ウェブ翻訳」にぶち込めば、大意はつかめるだろう。ここでは、ニューヨーク・タイムズと同様、抄訳を載せておく。朝日新聞、日経新聞に言及している部分は余さず載せておく。〔〕内は訳者の補足。

「解放された日本の人質、批判に直面」(4月22日、Kenji Hall記者)
 イラクで人質に連れて行かれた3人の日本の民間人が家へ安全に戻った時、同情者は空港にいなかった。彼らが機体から降りたとき、2人のボランティア救助活動家とフリーランス・フォトジャーナリストは頭を垂れて黙っていた。
 それは寒々とした帰国だった――そしてそれで終わりではなかった。
 今井紀明さん(18)、高遠菜穂子さん(34)、そしてフォトジャーナリストの郡山総一郎さん(32)は、イラクから退避せよとの政府の警告を軽率にも無視したために非難された。その後政府は、輸送費その他で彼らに6000ドルを請求すると言った。
 日曜日の彼らの帰国以来、3人は公衆の批判の嵐に捕まり、そのことで彼らは自宅で仮想囚人になっており、政府が戦闘地域への渡航で日本国民にどれだけ遠くまで警告しに行かなければならないかについての疑問が提起された。
 金曜日に、日本の援助グループの長は、反動が度を超していると言った。
 「政府は、国民に何か起こったら行動する義務がある」と、日本国際ボランティアセンター(JVC)代表理事の熊岡路矢さんは話した。
 全国紙の朝日新聞は同意した。
 「誘拐された5人の状況認識に甘さがあったことは否めない」と、リベラルな日刊紙は木曜日の社説の中で述べた。「だが、与党内を中心に声高に語られている過剰な「自己責任」論には、首を縦に振るわけにはいかない」・・・
 ・・・日本の最も親密な同盟国である米国の〔解放された人質への〕反応は、賞賛だった。
 「日本の市民が、より大きな善のために、よりよい目的のために、自発的に自身をリスクにさらしたことに満足している。また日本の人々は、自発的にそうする市民がいることをとても誇りにすべきだ。」コリン・パウエル米国務長官は日本のテレビで放映された意見で述べた。
 しかし、日本人の多くが元人質の判断に疑問を呈した。
 「善意から出た行動とはいえ、危険なイラクに政府の渡航自粛勧告を無視して入国した人質3人には反省すべき点がある」と、日本の主要経済紙で保守的な日本経済新聞は〔16日付の〕社説の中で述べた。「3人の行動は自衛隊のイラクへの人道支援活動はもちろん日本の外交政策を束縛しかねなかったからだ」
 人質の家族は、批判の電話とeメールを受け取り、いくつかは暴漢の要求に屈するよう政府を促したことを酷評するものだったと言った。家族は圧力を和らげ、後に公に謝罪した。
 川口順子外相は「退避勧告よりさらに強いものが可能かどうか、検討してみる」と火曜日に言い、複数の外務省職員は自らを危険にさらす渡航者を救出することが不可能かもしれないと警告する勧告を考慮していたと話した。
 あらゆる衆目監視が元人質に打撃を与えたようにみえる。
 水曜日、日本の新聞は、バグダッドのストリート・チルドレンと働いていた高遠さんの姿を載せたが、彼女は茫然自失としており、服が乱れ、両親の家の外を歩いていたが、母親と姉に重くもたれかかっているようにみえた。あとの2人にはそのようなしるしはなかった。

 解放された人質に対する攻撃を非難する外国メディアは他にもあるようだ。
 ここでは媒体名だけ記しておく。

・米ロサンゼルス・タイムズ
 原文(英語)は同紙のサイトで読めるが有料。
 日本語による紹介は日刊ベリタで読めるが、これも全文購読は有料。
 日刊ベリタによれば、同紙は「自己責任」論批判ばかりでなく、保守メディアが元人質のプライバシーを侵害したことも伝えたという。
・ロシア・イズベスチヤ
 北海道新聞に紹介がある。
〈二十日のロシア・イズベスチヤ紙(電子版)も、被害者の五人を迎えた日本社会の冷淡さを紹介。「無責任だと責められ、警察は事情聴取をしようとしている。外務省は、費用をいくら請求できるか計算している」とし、帰国後もストレスに苦しむ高遠さんらの様子を長文の記事で伝えている。〉
・韓国各紙(東亜日報、ハンギョレ新聞、朝鮮日報)
 日本語訳がウェブログにある。
・イタリアANSA通信
・南ドイツ新聞
 東奥日報に紹介がある。
〈「『無思慮で軽率な人々』などという批判が、日本では雨のように降り注いでいる」
 イラクで人質となった四人のうち一人が殺害された事件当事国イタリアのANSA通信は、日本の人質被害者をめぐる状況を「批判と冷淡さ」と題して報道した。〉
〈南ドイツ新聞のヘンリック・ボーク東京特派員は、「自己責任」論が自衛隊駐留への国民の疑問やわだかまりを覆い隠すために使われているように見えると指摘。外務省の退避勧告についても「危険についての判断は、ジャーナリスト、非政府組織(NGO)関係者、外交官など個人個人で異なる。すべての個人が危険地域に渡航するべきでないとの考えは奇妙だ」と話す。
 その上で「政権に都合の悪い自衛隊派遣問題、人質事件に関して被害者を非難することで、政府責任の回避を図っているのではないか」と分析した。〉
 

 イラク日本人人質事件で、解放された五人に対して、ゆがんだ「自己責任」論などで攻撃する日本政府・保守メディアとその追従者たちは、世界で格好の笑いものとなっている。
 すでに仏ルモンドの記事については紹介したが、米メディアも、五人を擁護し、彼らを攻撃する日本政府・保守メディアを批判する記事を掲載した。そこには、腐敗した政府・メディアと荒廃した社会が映し出されている。

ニューヨーク・タイムズ「イラクで拘束された日本人、帰国してさらなる苦痛」(4月22日、Norimatsu Onishi記者)
 イラクで人質に連れて行かれた若い日本の民間人は、黄色いリボンの抱擁の暖かさではなく、国家の冷ややかな非難のまなざしの中で、今週帰宅した。・・・
 彼らが到着した空港では「自業自得!」との手書きのサインが読める。「お前らは日本の恥だ」元人質の一人のウェブサイトへの書き込みだ。彼らは皆に「迷惑をかけた」のだ。政府も劣らず、航空料金として元人質に6000ドルを請求すると発表した。・・・
 ・・・元人質の違反はイラクへ渡航することで政府の勧告を無視することだった。彼らの罪悪は、階層がないかのように考えられている縦社会の中で「お上(okami)」に従わなかったことだった。
 3人の元人質は犯罪者のように扱われ、彼らの自宅の中で事実上囚人となった。・・・
 ・・・政府に従わず、日本に問題を引き起こすことによって個人の目標を追求することは許されなかった。しかし解放された人質は米政府から賞賛を得た。
 「誰でも、危険な地域に立ち入ることによってとるリスクを理解しなければならない」とコリン・パウエル国務長官は言った。「しかし、もし誰も自発的にリスクをとらなければ、私たちは前進しないだろう。私たちは世界を前進させようとしなかった。
 そして、日本の市民が、より大きな善のために、よりよい目的のために、自発的に自身をリスクにさらしたことに満足している。また日本の人々は、自発的にそうする市民がいることをとても誇りにすべきだ。」
 対照的に、福田康夫官房長官は、捕虜の試練についてこう語った。「彼らは独自に行ったのかもしれないが、その行動のためにどれだけの人に迷惑をかけたのか考えてもらいたい」
 この批判は、最初の3人の民間人が二週間前に誘拐された後、すぐに始まった。小池百合子環境相は彼らを「無謀」と非難した。
 政府が誘拐犯人の要求に譲歩し、イラク南部から550人の自衛隊員を撤退させるように人質の家族が求めた後、彼らは誹謗中傷の手紙と嫌がらせのファクスを受け取りはじめた。・・・
 まさに誘拐犯人が3人の人質を焼き殺そうとまだ脅していたとき、竹内行夫外務事務次官は3人について、「安全性と生命の問題についていえば、彼らには自己責任(personal responsibility)の基本原則を自覚してほしいと思う」と言った。
 外務省は多くの日本人にとって畏怖と憤慨の対象だったが、この事件では、彼らは反抗された「お上」だった。外務省の官僚は日本の超エリートだが、平均的な日本人は、彼らは尊大で助けにならないものと見なす傾向がある。・・・
 「お上」へ反抗するのは、解放された人質のような、フリーランサー、非営利団体のメンバーといった日本の若者であり、彼らは、大企業であるほど社会的地位が高いこの国では、伝統的に低い地位に置かれてきた。・・・
 ・・・「日本政府がイラクで何を行っているか、私たち自身がチェックしなければならない。」安田〔純平〕さんは木曜夜のインタビューで語った。「これは日本の市民の側の責任であるが、あたかも人々が政府にすべてを任せているように見える。」
 「お上」はこのような挑戦に猛烈に反発した。何人かの政治家は日本人の危険な国への渡航を禁止する法律を提案した。更に多くの政治家が、政府が人質の解放を確保する際に政府がこうむったコストを彼らが払うべきだとさえ言った。
 「これは検討に値する」と、日本最大の日刊紙・読売新聞が社説に書いた。「独善的なボランティアなどの無謀な行動に対する抑止効果はあるかもしれない」。
 2人の解放された人質が活動を継続するためにイラクにとどまりたい、または戻りたいと言及したとき、小泉純一郎首相は怒って彼らに「自覚を持つ」よう彼らを責め立てた。「これだけ多くの政府の人たちが寝食忘れて努力して、なおかつそういうことを言うのか」と彼は言った。
 このコメントが、米政府から聞かれることはないだろう。日本政府は今、危険な地域へ行く者に対して「自己責任」を吹聴している ―― 本質的には、旅行者が安全を保証したり、問題から脱出するためには、政府にいかなる援助も期待してはいけないと言っているのである。
 この考えにあえて反対を唱える日本の政治家は誰もいない。
 確かに、小泉首相による人質危機の処理は世論調査での肯定的な評価に解釈され、この問題は、イラクの悪化する安全保障状況と、戦争を放棄する日本国憲法によれば日本の自衛隊が非戦闘地域にいると推定されるという事実から、注意をそらした。・・・ 

 21日の毎日新聞(インターネット版)によれば、福田康夫官房長官は同日午前、イラク日本人人質事件に関する参院本会議で、被害者について「本人たちの配慮が足りなかったことは否定できない。自己責任とは自分の行動が社会や周囲の人にどのような影響があるかをおもんぱかることで、NGOや戦争報道の役割、意義という議論以前の常識にあたることだ」「多くの人に迷惑をかけるのに、十分な注意も払わずに自分の主義や信念を通そうとする人に、それを勧めたり称賛すべきだろうか」と答弁した。(毎日新聞-Yahoo!)(MSN毎日

【論評】 福田長官がわざわざ「自己責任」の定義に言及したのは、政府・閣僚による「自己責任」論に対し、内外から批判が強まってきたのに対処するためのように思える。
 だが、福田長官による「自己責任」の定義が、私の頭ではどうにも理解できない。
 まず第一に、責任というものは「おもんぱかる」ものではなく「負う」または「引き受ける」ものである。
 第二に、福田長官のいう「責任」はあくまでも人(社会や周囲の人)に対してである。これに対して、一般的な意味での責任の対象は人に限らない。むしろ、任務・金銭・法律・義務など、人が直接の対象になっていない場合のほうが多い。そして普通、自己責任の対象は、自分の行為から生じた結果である。(自己責任の悪意的なバージョンが「自業自得」。)
 それでは福田長官はなぜ、「常識」と自称する奇特な辞書でこのような定義を持ち出してきたのか。
 重要なキーワードは「迷惑」だ。「迷惑」とは、誰かの行動で「社会や周囲の人」に悪い「影響がある」ことを指す。これは日本語の通常の定義として間違っていないだろう。そして「誰か」とは今回の場合「本人」「自分」であり、福田長官は「本人」「自分」という語を被害者に当てはめている。
 そうすると、福田長官の辞書に載っている「責任」とは、日本語では「迷惑」を指すことが分かる。福田長官が日本人であれば、被害者に「自己責任」などという言葉を使うべきではない。
 日本人の悪いところの一つは、福田長官のように「迷惑」が道徳の根本をなしていることだ。裏を返せば、迷惑をかけさえしなければ許される行為が存在するということになる。被害者に嫌がらせの電話したり中傷の手紙を送る行為は、相手以外の誰にも迷惑をかけない。被害者のプライバシーを侵害する行為も、迷惑を受ける人がそうでない人に比べて圧倒的に少ないことを利用しているといえる。
 「迷惑」論で本来の「責任」の意味をすり替えようとする福田長官の発言を、まさしく「自制の欠如」(仏ルモンド紙)というのである。

 ついでに、川口外相が20日の衆院本会議で「今後もイラクへの渡航は絶対控えるよう強く勧告したい。海外に渡航する邦人は自らの安全は自ら責任を持つという自覚を持ってほしい」とまたしても「自己責任」論を繰り返したことを挙げておく(共同通信-Yahoo!)。福田・川口両発言とも、まったくもって世界の恥さらしである。

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「自己責任」論者に川口外相を追加

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