東京新聞5月5日付朝刊の「特報」は、「日の丸・君が代強制」問題、具体的には、東京都教育委員会による、卒業式で君が代斉唱の時に起立しなかった教職員の大量処分の問題を取り上げていた。
記事はまた、4月半ば、入学式で起立しなかった都立高の数学担当の男性教員が、都庁舎で都教委から聴取を受ける前の、都教育庁職員との押し問答について記述している。
『「聴取が公正であるよう、弁護士の立ち会いを求める」と教員。
「教育委員会の裁量で、立ち会いは認めていない」とはねつける職員。その場にいた学校長は、うつむいたままだ。教員に同行した弁護士が「懲戒処分を受ける可能性があるのだから、処分や手続きの公正さを確認する必要がある」と割って入る。押し問答は一時間続き、聴取に入ることなく終わった』
教員には『教育や人権問題とは無縁』だった二人の弁護士が同行していたという。
一人は『投資信託をはじめ金融商品の法務の専門家』で、きっかけは『自分も都立高校を卒業した。そこで今、普通に考えておかしいことが起こっているから』だという。
もう一人は『日本企業と海外企業の間の契約書づくりを中心とする渉外企業法務に携わり、普段は都心のビジネス街で多忙な時間を過ごす』。
彼は学校現場での「国旗・国歌の強制」のニュースを人づてに聞いて驚き、次のようにいう。
『内心の自由は歴史的にもっとも尊重されるべきであると考えられてきた人権のはず。それが、特定の人に対する狙い撃ちではなく一般的に侵されつつあるのではないか』
『今回の問題の本質は組合つぶしのように特定の思想を持った人々を権力が弾圧するという構図ではない。日の丸・君が代という多様な意見、感情を持つ問題について、権力でもってごく普通の人に特定の態度、行動をとることを強制している点にある』
なるほど、「特定の人に対する狙い撃ち」や「特定の思想を持った人々を権力が弾圧するという構図」はいいわけか。
こういう主張を平気でする弁護士をはじめとする一連の群れが、今の日本の暗澹たる状況を作りあげてきたのではないかと私は思う。
誰かを「普通の人」と規定することと、(前者の弁護士のように)物事を「普通に考え」ることとは、まるで違うことだ。私にとって「普通に考える」とは、論理的に妥当な議論をすることを意味する。公権力が一方で『〔「国旗国歌法」の〕法制化により思想、良心の自由との関係で問題が生じることにはならない』(小渕恵三首相=当時、1999年7月28日参院本会議) といいながら、もう一方で君が代斉唱の時に起立しなかった教職員を処分することが、論理的におかしいということだ。ここに「道徳」の問題があるとすれば、「愛国心」などというレベルのものではなく、例えば「1は1ではない」という主張を認めるか否かのレベルの問題なのだ。
「普通の人」という規定は自動的に、そうでない人をも規定する。それは、しばしば恣意的になされる。ある勢力にとって、左翼、外国人、「新宗教」の信者、ハンセン病を患った経験のある者などは「普通の人」ではない。
後者の弁護士が、ニーメラーの次の言葉を引用したのは皮肉である。
『ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分は少し不安だったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だから何も行動しなかった。次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者ではなかったから何も行動に出なかった。
ナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、そのたびに不安は増したが、それでもなお行動に出ることはなかった。それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師だった。だからたって行動に出たが、そのときはすでに遅かった』
牧師は「特定の思想を持った人」ではないのか。牧師はドイツではありふれた存在かもしれないが、世界全体ではそうではない。何が「特定」かは、集団や領域の違いや大小によっていくらでも変わる。言い換えれば、誰でも「特定」の存在になりうるのだ。だから国際人権法は「すべての者」に良心の自由を認めているのだ。「すべての者」には当然、「ごく普通の人」も「特定の人」も含まれる。
ニーメラーの教訓は、全体主義者が「特定の人」を攻撃してきたら、傍観者になってはいけないということだ。傍観者を続けたら、いつかは自分が攻撃の対象になる。その教訓を口走った弁護士が、教訓を全然理解していない。おまけにこれを報道した記者も分かっていないかもしれない・・・日本はすでに手遅れか。
ニーメラーは、ナチスが自分以外の「特定の人」を攻撃したのをみて、ナチスに対して不安を覚えたぶん、まだましだった。ニーメラーの「日本版」は、残念ながら以下のようになりそうだ。
〈XXXが共産主義者を攻撃したとき、自分は共産主義に少し不安だったので、何も行動しなかった。次にXXXは「オウム」を攻撃した。自分は「オウム」にさらに不安を感じたから、何も行動したくなかった。
XXXは教師、ジャーナリスト、弁護士、ボランティア活動家、外国人等をどんどん攻撃し、そのたびに不安が増したので、ますます行動に出ることはなかった。それからXXXは自分を攻撃した。自分は自分だった。だからたって行動に出たが、そのときはすでに遅かった〉
最近、オウム麻原氏の三女が大学に合格しながら入学を取り消された問題で、三女側が3月末に東京地裁に学生としての地位保全を求める仮処分を申請、東京地裁は4月28日に仮処分を決定し、結局5月6日に大学が入学を受け入れたと報道された。(朝日新聞、5月6日)
「XXX」には学校、新聞(またはテレビや雑誌)、さらに「ごく普通」と自己規定しそうな人々さえ当てはまることがある。