テレビ・映像メディアは人間を進化させているのか

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 今日は休日で考える時間にも余裕があるので、本ブログのテーマ「人権とメディア」と若干異なる観点から、私がテレビや映像メディアについて最近考えていることを書いてみたい。

 それは、「テレビ・映像メディアは人間を進化させているのか」である。

 私自身の本職は画像工学を専門とする技術者である。そして、技術者としてのそもそもの出発点は、テレビ工学だった。

 技術者としてのテレビへ関心は、当然、人権擁護家のそれとは著しく異なる。「昼間」の私にとって重要なのは、信号としての情報であって、情報の内容が指し示す事実ではない。

 逆に、「人権と報道・連絡会」などの会合に出席しているときに、映像処理回路の各パラメータが画質に与える影響なんて考えたりはしない。

 しかし、技術革新によって生み出された映像メディアが人間生活にどのような影響を与えているのかは、いつも気にしている。とりわけ、光市事件弁護団の懲戒請求を扇動したのが他ならぬテレビであることについては、映像技術が憎悪を扇動するためにあるのかと思うと、残念でならないし、悔しささえある。

 光市事件弁護団に対する懲戒請求に危機意識を持った弁護士が、橋下弁護士も招いて集会を開催し、その結果が橋下弁護士を訴えている側のサイトに掲載されているのだが、そこで弁護団所属の弁護士が、テレビは「偏っている」だけではなく、「非常に情報が少ない」と訴えているのが気になった。
(「光市母子殺害事件弁護団緊急報告集会の記録[PDF]」の4枚目8ページ参照)

 「非常に情報が少ない」というときの「情報」とは、事件の真実を把握するのに足る、言語的情報だといえよう。

 ところが、アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが提唱した、いわゆる「メラビアンの法則」によると、人間のコミュニケーションのうち、言語情報はわずか7%で、残りは視聴覚情報であるという。

【参考サイト】
『メラビアンの法則』が示す非言語的コミュニケーションの有効性と言語情報との相補性

 参考サイトは「現在のコミュニケーション心理学では、メラビアンの法則のパーセンテージ自体に厳密な科学的根拠や実用性はないと考えられています」と補足している。しかし、視聴覚情報を伴ったコミュニケーションでは言語そのものの情報が相対的に希薄になることは、多くの人が納得することだろう。

 参考サイトもそうだが、企業のプレゼンテーション研修などで「メラビアンの法則」を挙げる説明はたいてい「非言語的コミュニケーション」の重要性・優位性を持ち上げている。しかし、情報伝達の過程で言語情報が欠落したり、それが「非言語的コミュニケーション」によって隠蔽されることは、司法手続きにおいては致命的な欠陥となる。

 証拠や事実を合理的に結びつけて説明するのは言語でなければ無理だ。もちろん、すべての証拠を言語情報だけで表現することもできないのだが、裁判における言語コミュニケーションの重要性から、その割合が日常生活におけるそれよりも著しく高まるのは当然だろう。

 法廷で録音・録画が禁止されているのも、非言語的コミュニケーションの恣意的な伝達による悪影響を防止しているためと思われるし、逆に取り調べの録音・録画が要求されているのは、捜査側が被疑者などに、調書に書かれることのない非言語的コミュニケーションを用いて脅し・誘導をしていないか監視するためという見方もできる。

 橋下弁護士の誤りの一つは、テレビはもともと公判内容を伝える言語が非常に少ないうえに捜査側に偏向しているという現実をわきまえずに、自分はテレビの利益に全面的にのっかって、弁護団に一方的に「説明責任」を要求している点にある。

 事件報道に即物的に反応する感情主義者の登場も、テレビなどの電子映像メディアの普及と大いに関係があると思う。新聞サイトなどの文字メディアさえ、内容が情緒的で希薄になっているという意味で「電子化」が進んでいる。本ブログへも、何か報道されるたびに一行コメントが書かれたりするのだが、それらの反応も、スイッチを投入すると作動する電子装置のようだ。

 ここで重大な疑念が起こる。「テレビ・映像メディアは人間を進化させているのか」と。

 人間社会を、思考も学習も成長もなくただひたすら高速に反応・処理する巨大な集積回路のようにするのが人類の目的なら、テレビ・映像メディアは人間を進化させているといえるのだが、私はそれが「進化」だとは思わない。

 こんなことを考えるきっかけになったのは、「PC Watch」(インプレス)に以前に載った次の記事を読んでからだ。

コンピュータは人間を進化させるか アラン・ケイ氏インタビュー

 「ダイナブック」の構想者、子供向けのPC「スクイーク」の開発者でもあるケイ氏がPCとインターネットに対して発している警告は、それらが普及する以前からテレビにこそ向けられてきたものだろう。ケイ氏の言葉に耳を傾けてみる。先に掲げた「メラビアンの法則」の紹介と比較すると実に興味深い。

『過去1世紀の電子技術のほとんどは退行的だ。というのは電子技術の多くは書くことよりオーラルコミュニケーションを奨励するからだ。昔、人々に読み書きを強いた多くのものは今は存在しない。楽しみのために読まなければ、恐らく必要になったときには読む鍛錬が足りていないだろう。書くこともどんどん不要になっている。将来はもっと、コンピュータが、“学ばないこと”の言い訳になるかもしれない。米国の多くの学校は、子供がGoogleで何かを見つけコピーすると、それで学んでいると思っている。しかし私は、子供がそれについての作文を書かない限り学んだことにならないと主張している。作文は思考を組織化する。単に博物館の展示物を集めるだけではない。しかしほとんどの学校はその違いを分からない』

 技術者が、自分のかかわった技術が人間を「退行」させていると表明することはむなしい。しかし、だからこそ自分ができることは何かを考えて実践しているケイ氏に敬意を表したい。

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このページは、Henkyo Newsが2007年9月22日 10:53に書いたブログ記事です。

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