2007年9月アーカイブ

 各種報道によれば、27日、最高裁の平木正洋・総括参事官が福井市で講演して、「裁判員に予断を与える恐れがある」事件報道の各種形態を挙げて、裁判員制度を前に懸念を示した。
とりあえず詳細な論評を加えず、記事リンクを掲げる。

<裁判員制度>「予断与える恐れの報道」で6項目 最高裁(毎日新聞、27日)

 6項目とは
(1)容疑者の自白の有無や内容
(2)容疑者の生い立ち・対人関係
(3)容疑者の弁解が不自然・不合理という指摘
(4)容疑者の犯人性を示す証拠
(5)容疑者の前科・前歴
(6)事件に関する識者のコメント

 要するに「犯人視報道」の手法が批判されているのだが、それにしても、引用されている「報道側」や識者のコメントの相変わらずの鈍感さは何なのだろうか。

『捜査に誤りがないかどうかをチェックする役割がある』、『偏向報道だと言われ「無罪ではないか」と言うこともダメ』、『当局が規制を始めれば報道を通じて犯罪を読み解くことができなくなる』、『報道機関に対して事件に関する独自取材をするな、と言っていることに等しい』。

私も犯罪報道を10年間ウォッチしてきて、いい加減、この種のコメントは聞き飽きた。前のエントリーで紹介した、公判を妨げるおそれのある報道を禁止する英国の「法定侮辱罪法」程度の規制で取材も報道もできないとわめくくらいなら、事件報道なんかやめてしまえと思う。規制から逃れるには、捜査側に一方的に偏向しない公判中心の報道と、そこから逸脱していないかを自主的にチェックする制度しかない。

 裁判員制度の導入を控えているというのに、光市事件報道をはじめとして、犯罪報道は全然変わっていないなあと思っていたが、検索していたら、産経系のニュースサイトにこんな記事が出ていた。

 今日は休日で考える時間にも余裕があるので、本ブログのテーマ「人権とメディア」と若干異なる観点から、私がテレビや映像メディアについて最近考えていることを書いてみたい。

 それは、「テレビ・映像メディアは人間を進化させているのか」である。

テレビで懲戒請求を呼びかけられて業務を妨害されたとして、橋下徹弁護士を裁判に訴えている光市事件弁護団所属の弁護士たちが、公判に関するサイトを開設した。(サイトへのリンクは本エントリーの末尾にあります)

弁護団(注)の主張や関連資料が読めるほか、弁護団や橋下弁護士に関するいくつかのサイトへ行くこともできる。(橋下弁護士側の主張や資料は、本人のブログにアップされると思われる)

ここでマスコミとの関連で興味深いことは、弁護団がテレビ局を提訴しない方針を示していることだ。

 各マスメディア報道によると、橋下弁護士(大阪弁護士会所属)が読売テレビ系番組「たかじんのそこまで言って委員会」で、光市母子殺害事件被告人弁護団への懲戒請求を呼びかけ、業務を妨害されたとして、弁護団の弁護士が提訴に踏み切ったもようである。
 橋下発言以降の事実経過と私の主張はこのブログの前の記事で書いたが、当事者同士の法的な争いになったので、今後これ以上のシロウトによる「法学論争」はあまり意味がないように思われる。
 しかし、橋下シンパが今後具体的にどういう行動に出るのかは注目である。

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