前回記事に対して、「Birth of Blues」というブログの作者は、あれこれと言い訳や言いがかりを書いたあげく、ついに該当引用部分の正確な引用元を示さなかった。
検索をかければ「週刊新潮」と出てくるし、他にも掲載された媒体もあるのだろうから、ここ(雑誌名・サイトのURLなど)から引用しました、ごめんなさい、とだけ素直に応じればよろしい。新聞記事や判例のコピペよりもはるかに楽な作業を要求している。頑なに拒否しているのには、何か特別な理由があるのだろうか。私が前に書いたとおり、「公知だから」というのは理由にならない。
もう一つ、「りゅうちゃんミストラル」というブログからも反応があったが、「Birth of Blues」の反論が「実にすばらしい意見」なのだそうだ。本気でそう書いているらしいから呆れる。したがって、その「実にすばらしい意見」の思考パターンは、かなりの部分、「りゅうちゃんミストラル」の作者にも当てはまるのだろう。
二人に共通する根本的な勘違いは、「情報の出所はどこか」と聞かれて、引用元の名前を示すのではなく、引用内容を支持する別の情報を提示していることである。高裁の判例、新聞記事、それらは「情報の出所はどこか」という問いの答えではない。それとも、小学校のテストの選択問題のように書かないと、質問の意味を理解してもらえないのだろうか。
この二人は、仕事で報告書を書くときに、引用文献の出所を明らかにしないのだろうか。私の仕事は報道・メディア関係ではないが、それでも私の職場でそのようなことを繰り返して、注意しても二人のように開き直るような従業員の椅子は、半年くらい経ったらなくなっていることだろう。
私が「反証」という言葉を出した理由は、検察側の証拠を一方的に載せておいて、弁護側の主張を載せないのは、不公正と考えるからだ。検察の言いなりのマスコミ記事や、それを支持する裁判所の判例を挙げたところで、「反証」を挙げたことにならない。
二人は、「問題はそのほとんどが解決した」ので反証不要だと主張するのかもしれないが、それでもなお上告審があり、刑事弁護が必要なのはなぜか。刑事弁護の意義とは何か。これは私に反論する前に、二人にきちんと答えてもらいたい。
普段、弁護側主張を軽視しているくせに(マスコミに依存していればおのずとそうなる)、今回に限って、弁護士は出席せよと叫ぶ。自己矛盾とは思わないのだろうか。
マスコミは弁護側主張をほとんど載せない。理由は、検察側に不利な記事を書いて、検察から情報をもらえなくなるのをおそれているからである。報道機関と検察との「癒着」といってもよい。だから、冤罪事件では記事は自動的に冤罪被害者の名誉を侵害する。私がサイトやブログでマスコミを批判しているのは、まさしくこの点である。
ところが「りゅうちゃんミストラル」の作者は、私が何でもかんでもマスコミ報道に疑問を持っているかのように議論を歪曲し、
>ならば日本が優勝した野球のWBCもほとんどの人は現地で試合を観戦したわけではなく、
>ニュースで知った。
>この方はこうしたことも疑問に感じるのか?
と論点をすり替えている。以前、「郵便ポストが赤いのもマスコミ(警察、検察)のせいか」というのがあったが、それと同じくらいの「あまりに稚拙で笑ってしまうレベル」。
もっとも、以下のブログ記事のように、WBC報道にも突っ込みの余地は存在する。
「やった、世界一!」と興奮するのが新聞の役割か(新聞読んだ?)
このブログも、「りゅうちゃんミストラル」の見地からすれば、「この方はこうしたことも疑問に感じるのか?」というわけか。

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